スカパーで今、ICカードの交換のサービス中とかで、ほとんどの番組を無料で見られているのですが、その中のホラーTVというのがあって、これがまた「ホラーTV」とは名ばかりのゴミ映画TV。
ホラーTV
http://www.horrortv.jp/
今月だけでも、
牢獄の罠
1954年
監督:エド・ウッド
エド・ウッドの怪物の花嫁
1956年
監督:エド・ウッド
古城の亡霊
1963年
監督:ロジャー・コーマン
スズメバチ女
1958年
監督:ロジャー・コーマン
など放映しています。
エド・ウッドのは全然ホラーじゃないし。
これでもふだんは有料放送(月額980円)。
女囚映画 追憶の旅
残酷女刑務所[The Big Doll House/1975年]
製作 ロジャー・コーマン
監督 ジャック・ヒル
最近、ふと思気づいたのだが、今まで結構いろいろな女囚映画を見たが、実は一度も映画館で見たことがないし、ビデオを自分で借りて見たこともない。そのほとんどが中学校から高校生くらいまでの間にテレビで見たものなのである。
女囚映画というと、何となく成人映画や18禁を思い出すのだが、テレビでやっていたということはそうではなかったということになる。あるいは、編集して「一般向けOK」となっていたかのどちらかだと思うのだが、それを証明する手だてがない。
内容は一応それぞれ覚えているつもりなのだが、内容がどれもとても似ている上に、ほとんどが原題とかけ離れた邦題をつけられているので、今となってはどれがどれだかよくわからない。
出ている女優や監督に関しても、当時それを認識して見ていたわけでもなく(そんな中学生はイヤだが)、大人となってからあの頃の映画をもう一度見たいと思っても、自分が見た女囚映画がどれだったかということはもうわからないだろうと思っていた。
実際その部分は今でも大きいのだが、しかし時代は変わった。
今やインターネットで邦題と原題を照らし合わせることは容易だし、全部ではないが、ストーリーもわかることが多い。内容がわかれば何とかなるのではないか。
今ではYouTubeがあり、有名な映画なら予告編が大体アップされている。
文字ではわからないことも、予告を見ればわかるのではないか。
女囚映画は一時代を築いたとはいえ、ゾンビ映画やモンスター映画のように何千本も作られたというものではないし、日本のテレビで放映されたものなら、痕跡もある程度は掴めるような気がした。
ということで、私は幼き日の自分のテレビでの女囚映画体験を振り返る追憶の旅に出たのだった。
手がかり
最初にテレビで見た女囚映画は「ナチスもの」だった。
これは間違いない。
多分、私が中学生の終わり頃か高校生の始めのことで、1970年代の中盤あたり。
もちろん、当時では、テレビで映画が放映されるのは公開からずっと後というのが普通で、その頃に作られたということではない。
女囚映画のナチものというと、資料的に必ず出てくるのが1975年の「ナチ女収容所/悪魔の生体実験」(Ilsa, She Wolf of the SS)だ。
これだろうか。
だが、YouTubeに予告編があり見てみたが、これではない。
Ilsa: She Wolf of the SS
http://jp.youtube.com/watch?v=ccnTMJly9iE
ただし、この女看守のイルザはその後、別の映画で見ている。
映画原題で「ILSA……」(イルザ)から始まる女囚映画はいくつもあって、それらはすべて「ナチ女収容所/悪魔の生体実験」の模倣というか、残酷の部分だけを適当に真似したエクスプロイテーションだったようだ。
いくつか予告を見てみたが、どうにも適当だ。
調べてみると、やはりイタリアで女囚ナチ映画は量産されており、もしかしたら、私が見たのはその中のどれかだったかも知れない。
興味のある方はYouTubeで「Ilsa」で検索してみるといい。
いくらでも出てくる。
そういえば……カサブランカ(1942年)のイングリッド・バーグマンの役もイルザ=Ilsaだったなあ。あちらでは一般的なのか。
さて、では中学生の時に最初に私が見た女囚映画は何だったのだろう。
シーンで思い出してみよう。
裸でのシャワーシーン…………。しかし、これは他のすべての女囚映画にもある。
女囚同士の喧嘩シーン……。これも他のすべての女囚映画にある。
女看守のリンチ…………。これも他のほとんどの女囚映画にある。
男看守とのセックス……。これも他のすべての女囚映画にある。
レズビアンシーン……。これも他のすべての女囚映画にある。
……なんと、「その映画だけにあるもの」がほとんどない。
だから、いくつも見ただろうに、ひとつひとつが不鮮明なのだ。
これでは思い出すのはやはり難しそうだ。
ちなみに、女囚映画の走りとなったジャック・ヒル監督の「残酷女刑務所 The Big Doll House」(上の予告映像)
はよく覚えている。
黒人の女性(予告を見てみると、これ、パム・グリアだったのか!)が印象的だったりして、(中学生には)見応えのある映画だった。

それにしても、予告時点でやたらとオッパイが出てくるが、これは当時のテレビではどうだったかな。覚えていない(本当に)。
* パム・グリアは70年代から黒人女優として活躍して、ブラックスプロイテーションのスターとなる。彼女のその頃のファン多く、後のハリウッド・オタク監督たちにも多かった。90年代に入り、ティム・バートン(マーズ・アタック)、1997年のクエンティン・タランティーノの「ジャッキー・ブラウン」などが話題となった。「マーズ・アタック」ではふざけた豪華出演者陣の中で唯一といっていいほど、観客の心に沁みる素晴らしい演技を見せている。今でも彼女が「アメリカの黒い女王」であることに異論を唱えるものはいないだろう。
いずれにしても、「女囚映画 追憶の旅」はまた今度いずれ行う……必要はないかな。
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ビーチパーティ[Beach Party/1963年]
ビーチパーティ[Beach Party/1963年]
ビーチパーティやらジュビナイルやら
高校生になった頃にはほとんど家にいなかったということもあり、全然テレビを見ない生活をしていたが、中学生くらいまではよくテレビを見ていて、特に映画は好きだった。
映画は好きだったといっても、当時は「午後のテレビでやる映画」、あるいは「東京12チャンネルでやる映画」というのは劇場でやっている映画とは違うという意識があった。テレビ東京は現在でも午後1時30分から映画を放映しているが、その質は昔とは全然違う。普通のメジャー作品を編集して放映していて、わけのわからない映画を放映することは少なくなった。
70年代は野放しだった
「空手アマゾネス」だとか「殺人ブルドーザー」だとか「ドラキュラ対フランケンシュタイン」とか劇場未公開の珍作が多く、小学生でも「このタイトル……」と思わざるを得ないような感覚はあった。しかし、珍作でも、小学生くらいなら十分に興奮できたり、恐がれたりできたのである。
そういう「午後の映画群」の中で一番私が好きだったのが「ビーチパーティもの」(でいいのかな)と呼んでいた映画群で、これは1963年の「ビーチパーティ」から来た言葉だと思うが、要するに「車に乗ったり海岸でパーティやったりする映画」である。
内容は別にいらない。
かわいい女の子と付属の男がビーチでキャッキャッと恋に惚けていればよろしいのだ。
このあたりへの憧れというのは、ビーチパーティ映画とは関係ないが、「バイバイ・バーディ」(1963年)というジャネット・リー主演の青春映画をやはりテレビで観たことにある。当時、小学生高学年だった私は劇中で主題曲を歌っていたアン・マーグレットに惚れたのだ!
今でもハリウッドのすべての女優の中でアン・マーグレットが一番かわいいと思っている。(これがその時のアンさん http://www.youtube.com/watch?v=vLqmUPU59Dc)
まあ、それがキッカケで私は「アメリカ娘の歌っているところをもっと見たい!」と思うようになったのだが、「バイバイ・バーディ」みたいなちゃんとした作品が午後のテレビでそうそう流されるわけもなく、「アメリカ娘が歌う映画」といえば、放映しているのは「何だかよくわからないが、白人の男と女がビーチではしゃいでいる」という内容も何もない映画ばかりだったような気がする。
ビーチパーティものやそれに類した青春モノは相当数を見ているのだが、放映時の邦題も正式名称も今でもわからないままだ。そもそも、どれがどれだかも当時も今もあまり区別がついていない。まあ、しかし一応は「アメリカ娘が歌ってはいる」ので、それはそれでよかったのかもしれない。
そんな映画ではあっても、小中学生の仮想の恋心を満たす程度には存在意義はあった。
ビーチパーティやらジュビナイルやら
高校生になった頃にはほとんど家にいなかったということもあり、全然テレビを見ない生活をしていたが、中学生くらいまではよくテレビを見ていて、特に映画は好きだった。
映画は好きだったといっても、当時は「午後のテレビでやる映画」、あるいは「東京12チャンネルでやる映画」というのは劇場でやっている映画とは違うという意識があった。テレビ東京は現在でも午後1時30分から映画を放映しているが、その質は昔とは全然違う。普通のメジャー作品を編集して放映していて、わけのわからない映画を放映することは少なくなった。
70年代は野放しだった
「空手アマゾネス」だとか「殺人ブルドーザー」だとか「ドラキュラ対フランケンシュタイン」とか劇場未公開の珍作が多く、小学生でも「このタイトル……」と思わざるを得ないような感覚はあった。しかし、珍作でも、小学生くらいなら十分に興奮できたり、恐がれたりできたのである。
そういう「午後の映画群」の中で一番私が好きだったのが「ビーチパーティもの」(でいいのかな)と呼んでいた映画群で、これは1963年の「ビーチパーティ」から来た言葉だと思うが、要するに「車に乗ったり海岸でパーティやったりする映画」である。
内容は別にいらない。
かわいい女の子と付属の男がビーチでキャッキャッと恋に惚けていればよろしいのだ。
このあたりへの憧れというのは、ビーチパーティ映画とは関係ないが、「バイバイ・バーディ」(1963年)というジャネット・リー主演の青春映画をやはりテレビで観たことにある。当時、小学生高学年だった私は劇中で主題曲を歌っていたアン・マーグレットに惚れたのだ!
今でもハリウッドのすべての女優の中でアン・マーグレットが一番かわいいと思っている。(これがその時のアンさん http://www.youtube.com/watch?v=vLqmUPU59Dc)
まあ、それがキッカケで私は「アメリカ娘の歌っているところをもっと見たい!」と思うようになったのだが、「バイバイ・バーディ」みたいなちゃんとした作品が午後のテレビでそうそう流されるわけもなく、「アメリカ娘が歌う映画」といえば、放映しているのは「何だかよくわからないが、白人の男と女がビーチではしゃいでいる」という内容も何もない映画ばかりだったような気がする。
ビーチパーティものやそれに類した青春モノは相当数を見ているのだが、放映時の邦題も正式名称も今でもわからないままだ。そもそも、どれがどれだかも当時も今もあまり区別がついていない。まあ、しかし一応は「アメリカ娘が歌ってはいる」ので、それはそれでよかったのかもしれない。
そんな映画ではあっても、小中学生の仮想の恋心を満たす程度には存在意義はあった。
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Abby - 黒いエクソシスト[Abby/1974年]
Abby - 黒いエクソシスト[Abby/1974年]
エクソシスト公開後すぐに作られた「黒いエクソシスト」
エクソシストが日本の劇場で公開されたのは、1974年のこと。
私は田舎に住んでいたせいで、それからさらに遅れて劇場でエクソシストを見た。
中学生になったばかりだったと思うが、その「エクソシスト」のあまりの面白さに驚いたものだった。
それから今に至るまで、「エクソシスト」ほどクールなホラーを見たことがない。
オープニングのコーランが流れる中でのイラクの夜明け。
イラクでの遺跡発掘のシーンでのメリン神父の日常(心臓病の発作の応急措置がニトログリセリンを舌の上に乗せるということはこの映画で知った)、散見される悪魔の兆し。
砂漠でメリン神父が悪魔(像)と対峙する絵柄だけで武者震いのようなものを感じたものだ。
そして、ハリウッド女優の疲れる日常(主人公)、学園闘争、宇宙飛行、キリスト教、アメリカの貧困と現実、英語を話さないアメリカ人(カラス神父の母)などがフラグメントとしてちりばめられながら、その中で本テーマである「悪魔憑き」と「悪魔払い」のドラマが進行していく。
私は映画を見た後、どうしても原作の内容が知りたくなり、ウィリアム・ピーター・ブラッティの原作を読んだ。その本は中学生にはどうにも厚い本だったが(「罪と罰」くらいの厚さがある)、それを一気に読んだ。原作がなぜそんなに長編となっていたかというと、「悪魔憑きだと確定するまで」に非常な時間がかかっていたこと、そして、「その原因」を模索していたところにある。つまり、医学のシーンと精神的カウンセリングの描写が長い。
そして……ん?
えーと……ここは何のページだっけ?
ああ、ABBYか。
話の流れとしてエクソシストを引き合いに出したら長くなってしまった。
「Abby」は副題の「黒いエクソシスト」でおわかりの通りだ。
黒人の女性に悪魔がつき、黒人の神父が悪魔払いをする。
それだけ。
他に特に書くようなことない。
そういえば、この映画の中でおもしろいのは、神父は最初はキリスト教の神父なのだが、着替えて戻ってくると「ブードゥー教」の司祭のごとき格好になっている。

Before

After
悪魔というのは確かに宗教ごとに違うのだとは思うが、それぞれ別の宗派でやるというのはいただけない。
エクソシスト公開後すぐに作られた「黒いエクソシスト」
エクソシストが日本の劇場で公開されたのは、1974年のこと。
私は田舎に住んでいたせいで、それからさらに遅れて劇場でエクソシストを見た。
中学生になったばかりだったと思うが、その「エクソシスト」のあまりの面白さに驚いたものだった。
それから今に至るまで、「エクソシスト」ほどクールなホラーを見たことがない。
オープニングのコーランが流れる中でのイラクの夜明け。
イラクでの遺跡発掘のシーンでのメリン神父の日常(心臓病の発作の応急措置がニトログリセリンを舌の上に乗せるということはこの映画で知った)、散見される悪魔の兆し。
砂漠でメリン神父が悪魔(像)と対峙する絵柄だけで武者震いのようなものを感じたものだ。
そして、ハリウッド女優の疲れる日常(主人公)、学園闘争、宇宙飛行、キリスト教、アメリカの貧困と現実、英語を話さないアメリカ人(カラス神父の母)などがフラグメントとしてちりばめられながら、その中で本テーマである「悪魔憑き」と「悪魔払い」のドラマが進行していく。
私は映画を見た後、どうしても原作の内容が知りたくなり、ウィリアム・ピーター・ブラッティの原作を読んだ。その本は中学生にはどうにも厚い本だったが(「罪と罰」くらいの厚さがある)、それを一気に読んだ。原作がなぜそんなに長編となっていたかというと、「悪魔憑きだと確定するまで」に非常な時間がかかっていたこと、そして、「その原因」を模索していたところにある。つまり、医学のシーンと精神的カウンセリングの描写が長い。
そして……ん?
えーと……ここは何のページだっけ?
ああ、ABBYか。
話の流れとしてエクソシストを引き合いに出したら長くなってしまった。
「Abby」は副題の「黒いエクソシスト」でおわかりの通りだ。
黒人の女性に悪魔がつき、黒人の神父が悪魔払いをする。
それだけ。
他に特に書くようなことない。
そういえば、この映画の中でおもしろいのは、神父は最初はキリスト教の神父なのだが、着替えて戻ってくると「ブードゥー教」の司祭のごとき格好になっている。
Before
After
悪魔というのは確かに宗教ごとに違うのだとは思うが、それぞれ別の宗派でやるというのはいただけない。
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ブラックシーザー[Black Seasar/1973年]
ブラックシーザー[Black Seasar/1973年]
監督/ ラリー・コーエン
出演/ フレッド・ウィリアムソン
黒いゴッドファーザー伝
私は小学生の時の確か昼のテレビでの映画枠でこれを見たのだが、邦題がブラックシーザーだったかどうかが思い出せない。もしかしたら、私が見たのはこの続編の「ハーレム街の首領」だったかもしれない。
これは「いわゆる黒いギャング物」で、つまり「黒人版ゴッドファーザー」ということになる。
ところで、昔のロックが好きな人ならこの予告編の冒頭で「ん?」と思うかもしれない。
そこで流れるカッコイイ前兆は間違いなく、ジミ・ヘンドリックスの「紫の煙」(PURPLE HAZE)なのだ。お、パープルヘイズ使ってんのかと思う……と、これが「紫の煙によく似た関係ない曲」でがっかりする。
多分、製作者の誰かがジミヘンが好きだったが、予算的に無理だったのだろう。そのへんのミュージシャンに「ジミヘンみたいなの弾いて」と作らせたようだ。予算が少ないということは、時にこういう些細なことで転ばせてくれたりする。
さて、この映画。
監督は「悪魔の赤ちゃん」シリーズで有名なラリー・コーエンで、テレビの世界でもコロンボシリーズなどを手がけている堅実な監督だ。この映画も普通によくできているのだが、しかし、そこはそれ。ブラックスプロイテーションの魂は百までも。
この映画、当初は主人公のフレッド。ウィリアムソンは死んでしまう話だった。
しかし、公開してみると予想外に当たったので、「それなら続編を」ということとなり、急遽、ラストを撮影し直して、主人公が死なないように撮り直したのだそうだ。
そして、公開途中からこちらのバージョンで公開された。今ではさすがにちょっと考えがたい展開だが、この時代のアメリカの映画では珍しくなかったそうだ。
現行のビデオやDVDなどでのバージョンも多分こちらだと思う。
まあ……どっちでもいいや。
監督/ ラリー・コーエン
出演/ フレッド・ウィリアムソン
黒いゴッドファーザー伝
私は小学生の時の確か昼のテレビでの映画枠でこれを見たのだが、邦題がブラックシーザーだったかどうかが思い出せない。もしかしたら、私が見たのはこの続編の「ハーレム街の首領」だったかもしれない。
これは「いわゆる黒いギャング物」で、つまり「黒人版ゴッドファーザー」ということになる。
ところで、昔のロックが好きな人ならこの予告編の冒頭で「ん?」と思うかもしれない。
そこで流れるカッコイイ前兆は間違いなく、ジミ・ヘンドリックスの「紫の煙」(PURPLE HAZE)なのだ。お、パープルヘイズ使ってんのかと思う……と、これが「紫の煙によく似た関係ない曲」でがっかりする。
多分、製作者の誰かがジミヘンが好きだったが、予算的に無理だったのだろう。そのへんのミュージシャンに「ジミヘンみたいなの弾いて」と作らせたようだ。予算が少ないということは、時にこういう些細なことで転ばせてくれたりする。
さて、この映画。
監督は「悪魔の赤ちゃん」シリーズで有名なラリー・コーエンで、テレビの世界でもコロンボシリーズなどを手がけている堅実な監督だ。この映画も普通によくできているのだが、しかし、そこはそれ。ブラックスプロイテーションの魂は百までも。
この映画、当初は主人公のフレッド。ウィリアムソンは死んでしまう話だった。
しかし、公開してみると予想外に当たったので、「それなら続編を」ということとなり、急遽、ラストを撮影し直して、主人公が死なないように撮り直したのだそうだ。
そして、公開途中からこちらのバージョンで公開された。今ではさすがにちょっと考えがたい展開だが、この時代のアメリカの映画では珍しくなかったそうだ。
現行のビデオやDVDなどでのバージョンも多分こちらだと思う。
まあ……どっちでもいいや。
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食人大統領アミン[Rise and Fall of Idi Amin/1981年]
食人大統領アミン[Rise and Fall of Idi Amin/1981年]
「食人大統領アミン」のないレンタルビデオ屋なんて
80年代のレンタルビデオ屋でいつもタイトルを見て気になる映画があった。
それがこの「食人大統領アミン」だ。
この邦題だとどう考えてもゲテモノ映画だと考えるのが妥当で、実際そういうゲテモノ系コーナーに置かれていたわけだが、実際の内容よりも見る前までの方がドキドキとした映画ではあった。
ジャケットには人肉を食べるアミン大統領の写真が載っていたり、冷蔵庫に生首だの射殺だの心ときめく文字が躍っていた。

当時の私には、アミン大統領がウガンダの独裁者だった、という文字だけの知識はあった。しかし、それが粛正と虐殺を繰り返した大統領だったということは知らなかったし、当時は(今でもそうだが)、ウガンダなどという響きはものすごく遠い響きで、「まあ……そういう所でなら人食いもあるのだろうなあ」(どんな根拠だ)というような感じもあった。
そして、ある時、意を決してこのビデオを見たのだが、まあ、いわゆる独裁者の伝記モノで、特別残酷だったりグロだったりゲテモノだったりするわけではなかった。
ただ、黒人の残酷な独裁者としてこういう取り上げられ方をされるアミンは何となく魅力的で、その後、私は本などで少し彼のことやアフリカのことを勉強したものだった。
クーデターによって失脚した当日のことも朝日新聞社の記者によって書かれていて、それも読んだ。
彼が多くの国民を殺したのは事実だが、どうしても好きな妻に愛されないままでいたようなフシがあること(ものすごい年下の美人の間に子供をもうけている)や、そして、これだけの悪行をした人物なのに、他のアフリカ諸国の独裁者のように、お金にまつわる疑惑が少なかったことなどは新鮮に感じた。
そういえば、2006年に「ラストキング・オブ・スコットランド」というアミン大統領を描いた映画がアメリカでヒットして、主演のアミン大統領を演じたフォレスト・ウィテカー(私は「グッドモーニング・ベトナム」の彼が非常に好きだ)がゴールデングローブ賞とアカデミー賞を受賞したらしい。
みんな、きっとアミンが好きなのだ。
そうじゃなければ、これだけの虐殺者を繰り返し「ちゃんとした映画化」することがわからない。
ちなみに、アミンが死んだのは2003年。
わりと最近のことだ。
「食人大統領アミン」のないレンタルビデオ屋なんて
80年代のレンタルビデオ屋でいつもタイトルを見て気になる映画があった。
それがこの「食人大統領アミン」だ。
この邦題だとどう考えてもゲテモノ映画だと考えるのが妥当で、実際そういうゲテモノ系コーナーに置かれていたわけだが、実際の内容よりも見る前までの方がドキドキとした映画ではあった。
ジャケットには人肉を食べるアミン大統領の写真が載っていたり、冷蔵庫に生首だの射殺だの心ときめく文字が躍っていた。

当時の私には、アミン大統領がウガンダの独裁者だった、という文字だけの知識はあった。しかし、それが粛正と虐殺を繰り返した大統領だったということは知らなかったし、当時は(今でもそうだが)、ウガンダなどという響きはものすごく遠い響きで、「まあ……そういう所でなら人食いもあるのだろうなあ」(どんな根拠だ)というような感じもあった。
そして、ある時、意を決してこのビデオを見たのだが、まあ、いわゆる独裁者の伝記モノで、特別残酷だったりグロだったりゲテモノだったりするわけではなかった。
ただ、黒人の残酷な独裁者としてこういう取り上げられ方をされるアミンは何となく魅力的で、その後、私は本などで少し彼のことやアフリカのことを勉強したものだった。
クーデターによって失脚した当日のことも朝日新聞社の記者によって書かれていて、それも読んだ。
彼が多くの国民を殺したのは事実だが、どうしても好きな妻に愛されないままでいたようなフシがあること(ものすごい年下の美人の間に子供をもうけている)や、そして、これだけの悪行をした人物なのに、他のアフリカ諸国の独裁者のように、お金にまつわる疑惑が少なかったことなどは新鮮に感じた。
そういえば、2006年に「ラストキング・オブ・スコットランド」というアミン大統領を描いた映画がアメリカでヒットして、主演のアミン大統領を演じたフォレスト・ウィテカー(私は「グッドモーニング・ベトナム」の彼が非常に好きだ)がゴールデングローブ賞とアカデミー賞を受賞したらしい。
みんな、きっとアミンが好きなのだ。
そうじゃなければ、これだけの虐殺者を繰り返し「ちゃんとした映画化」することがわからない。
ちなみに、アミンが死んだのは2003年。
わりと最近のことだ。
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グレートハンティング[Savage Man Savage Beast/1975年]予告編
グレートハンティング[Savage Man Savage Beast/1975年]
監督/ アントニオ・クリマティ
マリオ・モッラ
ヤコペッティの後継者たち
70年代に一時代を築いたモンド映画ブームを生み出した、ヤコペッティの「世界残酷物語」のスタッフとして働いていたアントニオ・クリマティとマリオ・モッラが作り出した1975年の似非ドキュメント映画「グレートハンティング」。
これは特に、日本では大ヒットした。
私も中学生の頃だったか、何度も予告やチラシを見たが、「ライオンに人間が喰われる」というシーンが売りで、誰も「それがウソだ」なんて考えることもしなかった。
「よーよー、あの映画のチラシ見た」
「見た見た。ライオンに人間に喰われるところが写ってるってな」
「いやあ、早く見たいなあ」
「ああ、楽しみだなあ」
思えば、当時の日本の中学生はこんなことにワクワクしていたのだから、B級映画を責めることなどできない気もするが、いずれにしても、「元よりこれは人間が殺されるドキュメント映画だ」と信じて見に行つているわけだから、そのシーンを見てもただ「わあ、喰われてる、喰われてる」と思うだけだった。
しかも……正直に書くと、私がこの映画が「実はヤラセでした」ということを知ったのはそれから15年後くらいのことだったのである。本のタイトルは覚えていないのだが、何かの映画関係の書籍に「あれは撮影された作りものフィルム」と書かれてあったのを偶然読んだことにある。
その時でさえ私は「何を馬鹿なことを」を笑っていたのたがちょっと気になって調べてみると、「それは本当だった」。つまり、この映画の中身はドキュメントなどでなく、多くが撮影された捏造映像だったのだ。
夢から醒めた気がした。
確かに、あの映画、細かいところがどうにも変だ。
何だか不自然だったり、手際がわかったり、何か違和感を感じていた。
しかし、ヤラセというならその疑念が一切晴れるのだ。
今見てみてもアイディアだと思う。
売りであるライオンが人を襲うシーンも、当時の一般観光客の普通である「8mmフィルム」で撮影したものということもあり、画像の悪さや撮影アングルのいい加減さも「素人の撮影」という一言で片付けられる。
しかし、実際には「ちゃんと撮影すると、途中から人が人形とすり替わっていることがバレてしまう」わけで、その点では最初から計画されていたので、このふたりの頭の良さがうかがえる。
このあたりはその後も、グレートハンティングシリーズや、レースでの事故のフィルムを継ぎ合わせた「ポールポジション」などを発表し、映画市場に「死は金になる」ということを教えたのであった。
その「死は金にある」という風潮は今でも続いているようだ。
監督/ アントニオ・クリマティ
マリオ・モッラ
ヤコペッティの後継者たち
70年代に一時代を築いたモンド映画ブームを生み出した、ヤコペッティの「世界残酷物語」のスタッフとして働いていたアントニオ・クリマティとマリオ・モッラが作り出した1975年の似非ドキュメント映画「グレートハンティング」。
これは特に、日本では大ヒットした。
私も中学生の頃だったか、何度も予告やチラシを見たが、「ライオンに人間が喰われる」というシーンが売りで、誰も「それがウソだ」なんて考えることもしなかった。
「よーよー、あの映画のチラシ見た」
「見た見た。ライオンに人間に喰われるところが写ってるってな」
「いやあ、早く見たいなあ」
「ああ、楽しみだなあ」
思えば、当時の日本の中学生はこんなことにワクワクしていたのだから、B級映画を責めることなどできない気もするが、いずれにしても、「元よりこれは人間が殺されるドキュメント映画だ」と信じて見に行つているわけだから、そのシーンを見てもただ「わあ、喰われてる、喰われてる」と思うだけだった。
しかも……正直に書くと、私がこの映画が「実はヤラセでした」ということを知ったのはそれから15年後くらいのことだったのである。本のタイトルは覚えていないのだが、何かの映画関係の書籍に「あれは撮影された作りものフィルム」と書かれてあったのを偶然読んだことにある。
その時でさえ私は「何を馬鹿なことを」を笑っていたのたがちょっと気になって調べてみると、「それは本当だった」。つまり、この映画の中身はドキュメントなどでなく、多くが撮影された捏造映像だったのだ。
夢から醒めた気がした。
確かに、あの映画、細かいところがどうにも変だ。
何だか不自然だったり、手際がわかったり、何か違和感を感じていた。
しかし、ヤラセというならその疑念が一切晴れるのだ。
今見てみてもアイディアだと思う。
売りであるライオンが人を襲うシーンも、当時の一般観光客の普通である「8mmフィルム」で撮影したものということもあり、画像の悪さや撮影アングルのいい加減さも「素人の撮影」という一言で片付けられる。
しかし、実際には「ちゃんと撮影すると、途中から人が人形とすり替わっていることがバレてしまう」わけで、その点では最初から計画されていたので、このふたりの頭の良さがうかがえる。
このあたりはその後も、グレートハンティングシリーズや、レースでの事故のフィルムを継ぎ合わせた「ポールポジション」などを発表し、映画市場に「死は金になる」ということを教えたのであった。
その「死は金にある」という風潮は今でも続いているようだ。
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ギニーピッグ[GUINEA PIG/1986]
日本の映像特撮技術が産んだ至高の惨殺ムービー
ギニーピッグ 1 & 2[ビデオはメイキング]
1は監督・出演/不明 2は監督/日野日出志
[追記]2007.08.28 ▲ 早速削除されてますな。メイキングくらいはいいだろうと思うのだが。私がアップしたものではないが、単に特撮技術の素晴らしさを見てもらいたいために紹介している。YouTubeの気ままな削除方針には困ったものですな。(著作権のある映画がすべてダメならYouTube自体が成り立たなくなる)。残酷描写と女性の裸がいけないというなら、こんな映画(「Drillbit」より。超グロ)はどうなんだ? こちらは消される気配もなし。
こちらで1976年の「スナッフ」という映画を紹介した。
まったく売り物にならないクズ映画の最後に「本当の殺人シーン」として安っぽい殺人シーンを撮影して付け加え、宣伝でその映像がホンモノだとまくし立てたお陰で大ヒットした映画だが、サンプルの動画を見てもおわかりの通り、その「ホンモノ」と銘打たれたシーンのデキはひどいものだった。
たとえ、1970年代とはいえ、多少映画や殺人について知っている人なら、これが作りものだとすぐにわかるシロモノだった。まあ、あまりにも粗末で笑えるというところはある。
それに比べると、1985年に日本で製作・発表された「ギニーピッグ」は世界の誰もそれを笑うことができなかった。
多くの白人たちが「本当の殺人ビデオ?」と勘違いしたという。
もちろん、そのためにこれは作られたのだ。
ギニーピッグシリーズはその後の世相や事件などとの絡みで社会抹殺されてしまうが、シリーズ8作が作られている。ここでは特にストーリーも何もない殺人と猟奇にスポットを当てたギニーピッグ1と2に焦点を当てる。
「ストーリーらしいストーリーがない」というのは大きなポイントだが、しかしそれはともかくとしても、何よりもこの映画を至宝たらしめたのは、この当時の日本の特撮技術の素晴らしさだ。
このメイキングには、くしくも「スナッフ」と同じシーンがある。
(「スナッフ」のビデオはこちら)
それは、「生きている女性の手首を切断する」シーンだ。
さらに共通するところは「切断した後の手が動いている」ということもある。
そのお互いの同じような描写も、比べるとこれはもう全然違ったもので、
「小学生の工作」と「専門学校生の卒業作品」くらいの違いがある。
スナッフではゴムみたいな腕をスムーズにサーッと切って、オレンジ色のペンキがバーッと流れ、完全に切断した手首がしばらく動いている。1メートル離れたカメラワークでも作り物だとわかる。
しかし、ギニーピッグでは、幾重にも重なる皮膚構造の繊維をひとつひとつ裁ち切るような感じで手首を切っていき、グチャグチャの肉が鮮明に浮き出てくる。そして、中央の神経を切っていない状態で女性と握手をする、という描写となり、相当のアップでも作り物の感じがしない。

まさに最高峰の特撮技術を惨殺シーンと死体の製作のために注ぎ込んだのだ。
結局、数あるゴミ映画と、こういう良質の特撮映画の差というのはスタッフの技術と情熱という他はないと思われる。それが猟奇殺人の再現のための描写であっても、半端な意気込みではこうは作れない。
予算ではなく「心」の問題だ。
当時、海外で作られた多くのダメ猟奇映画にもこのくらいの熱意があれば良かったのだが。今も当時も特撮先進国だったアメリカなら技術はあるはずなのだから。
ちなみに、このギニーピッグも3作目以降はギャグホラーになってしまう。
ギニーピッグ 1 & 2[ビデオはメイキング]
1は監督・出演/不明 2は監督/日野日出志
[追記]2007.08.28 ▲ 早速削除されてますな。メイキングくらいはいいだろうと思うのだが。私がアップしたものではないが、単に特撮技術の素晴らしさを見てもらいたいために紹介している。YouTubeの気ままな削除方針には困ったものですな。(著作権のある映画がすべてダメならYouTube自体が成り立たなくなる)。残酷描写と女性の裸がいけないというなら、こんな映画(「Drillbit」より。超グロ)はどうなんだ? こちらは消される気配もなし。
こちらで1976年の「スナッフ」という映画を紹介した。
まったく売り物にならないクズ映画の最後に「本当の殺人シーン」として安っぽい殺人シーンを撮影して付け加え、宣伝でその映像がホンモノだとまくし立てたお陰で大ヒットした映画だが、サンプルの動画を見てもおわかりの通り、その「ホンモノ」と銘打たれたシーンのデキはひどいものだった。
たとえ、1970年代とはいえ、多少映画や殺人について知っている人なら、これが作りものだとすぐにわかるシロモノだった。まあ、あまりにも粗末で笑えるというところはある。
それに比べると、1985年に日本で製作・発表された「ギニーピッグ」は世界の誰もそれを笑うことができなかった。
多くの白人たちが「本当の殺人ビデオ?」と勘違いしたという。
もちろん、そのためにこれは作られたのだ。
ギニーピッグシリーズはその後の世相や事件などとの絡みで社会抹殺されてしまうが、シリーズ8作が作られている。ここでは特にストーリーも何もない殺人と猟奇にスポットを当てたギニーピッグ1と2に焦点を当てる。
「ストーリーらしいストーリーがない」というのは大きなポイントだが、しかしそれはともかくとしても、何よりもこの映画を至宝たらしめたのは、この当時の日本の特撮技術の素晴らしさだ。
このメイキングには、くしくも「スナッフ」と同じシーンがある。
(「スナッフ」のビデオはこちら)
それは、「生きている女性の手首を切断する」シーンだ。
さらに共通するところは「切断した後の手が動いている」ということもある。
そのお互いの同じような描写も、比べるとこれはもう全然違ったもので、
「小学生の工作」と「専門学校生の卒業作品」くらいの違いがある。
スナッフではゴムみたいな腕をスムーズにサーッと切って、オレンジ色のペンキがバーッと流れ、完全に切断した手首がしばらく動いている。1メートル離れたカメラワークでも作り物だとわかる。
しかし、ギニーピッグでは、幾重にも重なる皮膚構造の繊維をひとつひとつ裁ち切るような感じで手首を切っていき、グチャグチャの肉が鮮明に浮き出てくる。そして、中央の神経を切っていない状態で女性と握手をする、という描写となり、相当のアップでも作り物の感じがしない。

まさに最高峰の特撮技術を惨殺シーンと死体の製作のために注ぎ込んだのだ。
結局、数あるゴミ映画と、こういう良質の特撮映画の差というのはスタッフの技術と情熱という他はないと思われる。それが猟奇殺人の再現のための描写であっても、半端な意気込みではこうは作れない。
予算ではなく「心」の問題だ。
当時、海外で作られた多くのダメ猟奇映画にもこのくらいの熱意があれば良かったのだが。今も当時も特撮先進国だったアメリカなら技術はあるはずなのだから。
ちなみに、このギニーピッグも3作目以降はギャグホラーになってしまう。
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スナッフ[SNUFF/1976年]
ジャンク映画に錬金術の方法論を伝えた伝道映画
スナッフ[SNUFF/1976年]
出演・監督 不明
* 元映画の「スローター(SLAUGHTER)」は、監督/ロバータ・フィンドレイ
* これはアメリカのドキュメントTVを編集したものなので、ナレーションが入っているが、実際はほとんど編集もなしにただ4分間の殺人シーンが続くだけのもの。
* 一応グロではあるので、ご注意を。
この「スナッフ」(SNUFF/1976年)は、映画の質がどうとのこうのとは関係のない部分で、後世のゴミ映画に対してひとつの光、あるいはインスパイアを与えた映画として記録に残されるべき映画だと言える。
どういう光かというと、
「映画は内容が伴わなくとも、アイディアと宣伝方法でいくらでもヒットさせることができる」
という光だ。
この「スナッフ」という映画の"スナッフ"という意味は「スナッフムービー=殺人記録映画」という都市伝説から来ていて、今もあるかもしれないが、特にその頃はスナッフムービーに関する話題が多かった。また、これに関する映画も多い。「食人族」、「ハードコアの夜」、「8mm」から、まだ記憶に新しい「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」なども「スナッフ」から始まった「似非ドキュメント」の流れで作られた映画だ。
ただ違うのは、これらは最初の企画段階からこれらの方向性が決まっていたわけだが、「スナッフ」はそうではない。
どうにも商品にならないゴミ映画を「ウソの付加価値で商品とする」ことにチャレンジした、小さな映画配給会社のプロデューサーのアイディアだった。
「スナッフ」は当初は、ロバータ・フィンドレイという女性監督によって、アルゼンチンで撮られた「スローター」というチャールズ・マンソンネタのZ級エクスプロイテーションムービーだったが、あまりにもデキが悪く、配給会社もこのままでは公開を断念せざるを得ないほどひどいものだった。
配給会社のプロデューサーだったアラン・シャクルトンは「何とかこの映画を世に出すことはできないか」と考えた。それでないと、資本投下分が損してしまう。
幸い(というのか何というのか)、彼はとても頭のいい人物だった。
シャクルトンは次の3つの作戦を考え、それを実行したのだ。
・殺人シーンを撮影して付け足して、「これは実際の殺人映画だ」ということにする
・キャストやスタッフのクレジットを消して、「これは南米から謎のルートで入手したフィルムだ」ということにする
・市民団体による上映中止デモを「自分たちで起こす」
これを全部やった。
付け足した殺人シーンは4分ほど。「カット」と撮影終了が監督から告げられた後に、スタッフたちは主演女優(本編とは顔が違うが)を殺す。
女優を押さえつけ、指を切ったり内臓を切り裂いたりするシーンが撮影されて、この部分をロバータ・フィンドレイのゴミ映画「スローター」に「本当の殺人シーン」と銘打たれて付け加えた。
そして、キャスト・スタッフのクレジットをすべて消して、「命の安い南米から輸入された殺人フィルム」とし、宣伝を開始。
同時にシャクルトン自ら、密かにヤラセのデモを企画実行する。
「こんな映画を公開してはいけない」と、看板を持たせた市民(本当はアルバイト)を歩かせた(写真下)。

これがメディアなどにも取り上げられ、スナッフは空前の大ヒットとなった。
付け足した殺人シーンは5分にも満たないが、それ見たさに観客たちは殺到したのだ。
ここにおいて、シャクルトンは「ゴミ」を大金に換える錬金術に成功した。
今見ると特撮も稚拙だし(切断された後の手が動いている)、どうみてもヤラセは明白だが、当時はみんな信じたのである。
日本でも大ヒットした。
当時、私は中学生で、劇場では見られなかったが、新聞にまで広告が載っていて、それを今でも覚えている。
日本においては、配給元のジョイパックが試写を一切しなかったらしい。
していたら、誰でもこれは作り物だとわかったからだろう。
[補足]
こういうもののトリックは昔から同じで、例えば、手首を切るシーンは、
・切られる女性がベッドのシートに開けた穴から下に手を入れる
・ベッドの下から他の人物が手を出す
・その間に血糊を仕込んだ作りの皮膚や衣服などを配置
・切る演技者が作り物の部分を切る
ということになる。
つまり、ここで切られた後も手が動いているのは、ベッドの下で手を動かしている人物の方がどこで手を止めたらいいのかわからなかったのかもしれない。
1970年代とはいえ、切られた後の手が動くなどと思っていた人はいまい。
いずれにしても、いい加減な話ではある。
スナッフ[SNUFF/1976年]
出演・監督 不明
* 元映画の「スローター(SLAUGHTER)」は、監督/ロバータ・フィンドレイ
* これはアメリカのドキュメントTVを編集したものなので、ナレーションが入っているが、実際はほとんど編集もなしにただ4分間の殺人シーンが続くだけのもの。
* 一応グロではあるので、ご注意を。
この「スナッフ」(SNUFF/1976年)は、映画の質がどうとのこうのとは関係のない部分で、後世のゴミ映画に対してひとつの光、あるいはインスパイアを与えた映画として記録に残されるべき映画だと言える。
どういう光かというと、
「映画は内容が伴わなくとも、アイディアと宣伝方法でいくらでもヒットさせることができる」
という光だ。
この「スナッフ」という映画の"スナッフ"という意味は「スナッフムービー=殺人記録映画」という都市伝説から来ていて、今もあるかもしれないが、特にその頃はスナッフムービーに関する話題が多かった。また、これに関する映画も多い。「食人族」、「ハードコアの夜」、「8mm」から、まだ記憶に新しい「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」なども「スナッフ」から始まった「似非ドキュメント」の流れで作られた映画だ。
ただ違うのは、これらは最初の企画段階からこれらの方向性が決まっていたわけだが、「スナッフ」はそうではない。
どうにも商品にならないゴミ映画を「ウソの付加価値で商品とする」ことにチャレンジした、小さな映画配給会社のプロデューサーのアイディアだった。
「スナッフ」は当初は、ロバータ・フィンドレイという女性監督によって、アルゼンチンで撮られた「スローター」というチャールズ・マンソンネタのZ級エクスプロイテーションムービーだったが、あまりにもデキが悪く、配給会社もこのままでは公開を断念せざるを得ないほどひどいものだった。
配給会社のプロデューサーだったアラン・シャクルトンは「何とかこの映画を世に出すことはできないか」と考えた。それでないと、資本投下分が損してしまう。
幸い(というのか何というのか)、彼はとても頭のいい人物だった。
シャクルトンは次の3つの作戦を考え、それを実行したのだ。
・殺人シーンを撮影して付け足して、「これは実際の殺人映画だ」ということにする
・キャストやスタッフのクレジットを消して、「これは南米から謎のルートで入手したフィルムだ」ということにする
・市民団体による上映中止デモを「自分たちで起こす」
これを全部やった。
付け足した殺人シーンは4分ほど。「カット」と撮影終了が監督から告げられた後に、スタッフたちは主演女優(本編とは顔が違うが)を殺す。
女優を押さえつけ、指を切ったり内臓を切り裂いたりするシーンが撮影されて、この部分をロバータ・フィンドレイのゴミ映画「スローター」に「本当の殺人シーン」と銘打たれて付け加えた。
そして、キャスト・スタッフのクレジットをすべて消して、「命の安い南米から輸入された殺人フィルム」とし、宣伝を開始。
同時にシャクルトン自ら、密かにヤラセのデモを企画実行する。
「こんな映画を公開してはいけない」と、看板を持たせた市民(本当はアルバイト)を歩かせた(写真下)。
これがメディアなどにも取り上げられ、スナッフは空前の大ヒットとなった。
付け足した殺人シーンは5分にも満たないが、それ見たさに観客たちは殺到したのだ。
ここにおいて、シャクルトンは「ゴミ」を大金に換える錬金術に成功した。
今見ると特撮も稚拙だし(切断された後の手が動いている)、どうみてもヤラセは明白だが、当時はみんな信じたのである。
日本でも大ヒットした。
当時、私は中学生で、劇場では見られなかったが、新聞にまで広告が載っていて、それを今でも覚えている。
日本においては、配給元のジョイパックが試写を一切しなかったらしい。
していたら、誰でもこれは作り物だとわかったからだろう。
[補足]
こういうもののトリックは昔から同じで、例えば、手首を切るシーンは、
・切られる女性がベッドのシートに開けた穴から下に手を入れる
・ベッドの下から他の人物が手を出す
・その間に血糊を仕込んだ作りの皮膚や衣服などを配置
・切る演技者が作り物の部分を切る
ということになる。
つまり、ここで切られた後も手が動いているのは、ベッドの下で手を動かしている人物の方がどこで手を止めたらいいのかわからなかったのかもしれない。
1970年代とはいえ、切られた後の手が動くなどと思っていた人はいまい。
いずれにしても、いい加減な話ではある。
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エイリアンデッド[Alien Dead / 1980]
エイリアン・デッド
Alien Dead (1980)
監督 フレッド・オーレン・レイ
友達同士で撮った自主映画ではないんですよ、これが
フレッド・オーレン・レイの監督した映画の中からクズ映画をひとつ選べと言われると、大変に判断に難しいところがある。
どうしてかというと、全部クズ映画だからだ。その中でのひとつはとても選べない。
しかも、この人はアメリカでは100本以上も映画を撮っている。
ますますえらぶことは難しい。
「そんなに撮っている人ならクズということはないだろう」と思う人がいるのだが、この事実自体がその評価そのものともなっている。どういうことかというと、
「100本も撮っていて、日本ではほとんど劇場公開されていない」
からだ。
ビデオでは原題がわからないほどのひどい邦題でたまに出されていたので、100円コーナーなど探すこともできるかもしれないが、それはやめた方がいい。
100円がもったいない。
このエイリアンデッドという作品は彼の初期の作品で、まるで中学生の自主映画のようだが、これは劇場公開されている商業映画だ。この映画を皮切りに、フレッド・オーレン・レイはアメリカ映画界に深く食い込んでいき、アル・アダムソンらの次の世代のアメリカZ級監督としてその地位を確実なものにしていく。
このクリップには多少編集が加わっているが、あまり関係ない。
なお、この映画は、Ailan Deadのタイトルの他に
It Fell from the Sky
Swamp of the Blood Leeches
などでも公開されている。
「ゴミ映画はタイトルを状況で変える」という鉄則に忠実だ。
それにしても、本当にひどい映画だな、これは。
Alien Dead (1980)
監督 フレッド・オーレン・レイ
友達同士で撮った自主映画ではないんですよ、これが
フレッド・オーレン・レイの監督した映画の中からクズ映画をひとつ選べと言われると、大変に判断に難しいところがある。
どうしてかというと、全部クズ映画だからだ。その中でのひとつはとても選べない。
しかも、この人はアメリカでは100本以上も映画を撮っている。
ますますえらぶことは難しい。
「そんなに撮っている人ならクズということはないだろう」と思う人がいるのだが、この事実自体がその評価そのものともなっている。どういうことかというと、
「100本も撮っていて、日本ではほとんど劇場公開されていない」
からだ。
ビデオでは原題がわからないほどのひどい邦題でたまに出されていたので、100円コーナーなど探すこともできるかもしれないが、それはやめた方がいい。
100円がもったいない。
このエイリアンデッドという作品は彼の初期の作品で、まるで中学生の自主映画のようだが、これは劇場公開されている商業映画だ。この映画を皮切りに、フレッド・オーレン・レイはアメリカ映画界に深く食い込んでいき、アル・アダムソンらの次の世代のアメリカZ級監督としてその地位を確実なものにしていく。
このクリップには多少編集が加わっているが、あまり関係ない。
なお、この映画は、Ailan Deadのタイトルの他に
It Fell from the Sky
Swamp of the Blood Leeches
などでも公開されている。
「ゴミ映画はタイトルを状況で変える」という鉄則に忠実だ。
それにしても、本当にひどい映画だな、これは。
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